シーズン3 (2013)
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エピソード 34
佐渡
今回の舞台は、日本海最大の離島・佐渡。いつのころからか、押し寄せる波が時代を吸い寄せ、閉じ込めて、今も暮らしの隅々に"失われた日本"をとどめる。
芭蕉も詠んだ荒波の先。千年の昔より、佐渡は"鬼も住むこの世の果て"と恐れられた。順徳天皇、日蓮、世阿弥ら時代に翻弄され流された都人たち。悲しみとともに携えてきた都文化は、佐渡の厳しい気候風土と相まって独自の形に進化し、今も暮らしに息づいている。人なつっこい"ムジナ(たぬき)"や多種多様な"地蔵"への厚い信仰。豊作を祈願する村総出の"薪能"。そして、島の各地に伝わる"鬼太鼓"。かつて恐れた"鬼"は"ヒーロー"となり、若者たちの姿を借りながら集落の平安のため命がけで太鼓を打ち鳴らす。
佐渡が流刑の地から"憧れの島"となったのは、江戸時代。突如現れた"黄金"が全国から人々を引き寄せた。急激な人口増加により切り開かれた山野の千枚田。築きあげた先祖に思いをはせながら、今も人々が昔と変わらぬコメ作りを続ける。
番組では、日本を凝縮した豊かな自然、荒波が恵むブリ漁なども紹介。トキも羽ばたく、懐かしくも不思議な島、人々をひきつけてやまない佐渡の姿を描く。
もっと読む尾道
小津安二郎らの映画の舞台となり、多くの観光客が訪れる瀬戸内航路の要衝・尾道は、坂と路地の町。目の前に海が迫り平地が少ないため急斜面に町が発展し、細い路地が縫うように広がっている。坂の上には飛鳥時代から寺院が建てられ、中ほどには明治時代からの木造建築が立ち並ぶ。車が進入できない幅の路地は、今も生活の場。坂道を人々が行き交い、家々からの声が聞こえ、匂いが漂う。
坂ばかりで車が入れない町は、高齢者にとっては住みづらい所でもある。それをカバーするために今も隣近所の繋がりが強く、そういう生活に憧れて移住してくる若者も多い。漁師の住む路地のお好み焼き店には、ご飯を持参すると焼き飯にしてくれるという独特の習慣が残る。漁のため両親が不在がちになる子供たちに温かいものを食べさせたいという、助け合いの心から生まれた習慣だという。
歴史の町、港の町、そして昭和の香りの暮らしが残る町・尾道を、坂と路地から見つめる。
もっと読む高知 神々と棲む村
四国山地の奥深く、高知県物部町。ここに、400年以上伝えられてきたと言われる、古い民間信仰が残されている。「いざなぎ流」と呼ばれるその信仰は、神道や仏教、修験道、自然崇拝などさまざまな要素が重なりあい、山の暮らしに合わせて変容した、独特のものだ。
その祈りを伝えてきたのは、「太夫(たゆう)」と呼ばれる人々。物部の人々は、生活の様々な場面で、太夫を通じて神と語らい、その意志を問いながら暮らしてきた。
いざなぎ流の大きな特徴のひとつが、太夫が作るさまざまな形の「御幣(ごへい)」。小刀一本で和紙を切って作られる御幣は、神々の似姿であり、神の宿る依り代。その種類は200ともそれ以上とも言われる。またいざなぎ流の祭では「祭文」と呼ばれる唱えごとで、神を喜ばせることが重要とされている。
山の恵みの中で生きる物部の人々。いざなぎ流の信仰は、かつて日本のどこにでもあった、神と人が語り合い、共に生きる暮らしの記憶を伝えている。
もっと読む別府
湧出量・源泉数ともに日本一の温泉地・別府。かつて、蒸気や熱湯が至るところに吹き出ることから「地獄」と呼ばれたこの地は、先人たちの知恵と工夫で、人々の心と体を癒す「極楽」に変わっていった歴史を持っている。
いま、別府には「別府八湯」と呼ばれる8つの温泉があり、それぞれ独自の入浴文化を築いている。路地裏にひっそりとたたずむ、地元の人たち向けの「共同湯」。湯治客をあたたかく迎えてきた「貸間旅館」。千年の歴史を持つという「砂湯」。観光客に新たなサービスを提供する「巨大ホテル」…。
老若男女のみならず、世界中の人々から愛されている別府の湯。番組では「別府八湯」をあますことなく紹介。別府の奥深い魅力を様々なエピソードで紡いでいく。
<オムニバス項目(抜粋)>
別府(べっぷ)温泉 地域をつなぐ温泉の力「紙屋温泉」
浜脇(はまわき)温泉 かつて別府一の歓楽街として栄えた面影
観(かん)海寺(かいじ)温泉 アイディア勝負で時代を乗り越えてきた巨大ホテル
堀田(ほりた)温泉 温泉の恵みで花を育てる――湯が隣にある暮らし
明礬(みょうばん)温泉 江戸時代から続く天然の入浴剤"湯ノ花"作り
鉄(かん)輪(なわ)温泉 人と人とをつなぐ心の湯治宿「双葉荘」
柴(しば)石(せき)温泉 山の中の知られざる秘湯探検
亀川(かめがわ)温泉 個人宅温泉を開放――湯に集まる人々と地域の絆
もっと読む越前の冬
その甘い香りから、一度食べると忘れられなくなるという冬の味覚「越前ガニ」。最盛期を迎える福井県北部を訪ねる。
かつてこの地方は「越(こし)の国」と呼ばれ、越えがたい険しい山並みの向こうに旅人は畏れと憧れを抱いてきた。そんな越前への旅の出発点は、かつて源義経や弁慶も越えたと言われる「木ノ芽峠」。山頂には今も「峠の番人」が暮らし、歴史ある番所の冬支度に忙しい。川沿いを下ると冬の風物詩が次々と出迎える。今庄の山里では燻製で甘味を増した「つるし柿」が並び、谷あいの五箇地区では女性たちが白い息を吐きながら冷たい水で「越前和紙」を漉いている。歌い継がれてきた「紙漉きの唄」に込められた思いとは?湧水に恵まれた越前大野では日本酒の寒仕込みの真っ最中。旬の里芋を甘辛く煮た「ころ煮」を肴に雪景色を見ながらの燗(かん)酒が人々の体を温める。旅のクライマックスは、カニ漁の解禁で活気づく街へ。カニゆでの名人から技を受け継いだ若き寿司職人や、カニを生きたまま熟成させる若女将たちと出会い、作家・開高健も愛したカニ料理の奥深い世界に触れる。
寒い冬ならではの越前の魅力をたっぷりと伝える。
もっと読む東北の春
長い、長い冬、大雪を受け容れ生きてきた東北の人々。凍てつく冬の厳しさに抗うことなく耐えながら暮らしをつないできた。それは「春」が約束されているからに他ならない。
冬はじっと春を「待つ」までの時間。閉ざされていた道が姿を現すのを「待つ」。雪解け水が輝くのを「待つ」。花咲き誇り虫や鳥たちが蜜を求めて舞うのを「待つ」。これを合図に人々の生きるための日常が始まる。
待ち焦がれた、水ぬるむ季節に感謝し、咲く花を喜ぶ、東北6県の春を旅する。
<オムニバス項目(抜粋)>
●岩手・西和賀
賢治が愛した春の儚い命「カタクリ」、深い雪が溶け芽吹く秘密の花園。
●山形・肘折温泉
子供たちが家々を巡り愛でる、雪国の一ケ月遅れの雛祭り。
●秋田・横手
蔵の町で江戸時代から続く朝市に山菜が並ぶとき。春をいただく口福。
●宮城県・加美
少年が踊る「火伏せの虎舞」。震災で取りやめていた春告祭が復活した喜び。
●福島・南会津
絶滅危惧種「ヒメサユリ」の花をなんとか守りたいと夢見た親子の花の郷。
●青森・弘前
日本一の桜を心待ちする人々。花見を終えると田畑に出、また新しい一年が。
もっと読む大阪 法善寺界隈
コテコテな大阪道頓堀の裏に広がる“もうひとつの大阪”、法善寺界隈を旅します。「たのんまっせ、お不動さん」。様々な願いとともに水をかけられ苔むした法善寺の名物「水掛不動」。寺の境内にはりめぐらされた袖がふれあう狭さの石畳の路地には、個性的なお店がずらり。江戸時代、法善寺への参拝者を目当てに、茶店や露店が立ち並んだのが、町の始まりだとか。戦争の空襲や二度の火災を乗り越え残された下町の風情。数多くの芸人や今年生誕100年を迎えた作家・織田作之助にも愛されました。人情酒場に毎夜繰り出す常連たち、板前の聖地で修行を積む若者の姿、伝統のなにわ料理なども紹介。人々が背筋をしゃんと伸ばして洒脱に生きる街の魅力をオムニバス構成で伝えます。
もっと読む尾瀬
群馬・新潟・福島の境に、最も空に近く巨大な湿原「尾瀬ヶ原」がある。国立公園の中でも特に貴重な自然があることから特別保護区に指定されている。ミズバショウをはじめ、約300種の草花が、世界でも希な景観を成し、年間30万人以上が訪れる。
尾瀬ヶ原の自然美を支えているのは冬の「大雪」。一年の半分以上、尾瀬を閉ざす深い雪は、春になると雪解け水となり、湿原の隅々にある命を潤す。水はやがて流れ下り、麓の暮らしの命の糧を恵む。尾瀬が生み出す「豊かな水」。その水が生んだ光景と、水とともに生きる人々の営みを見つめる。
●天空の大湿原
木道からは見られない尾瀬ヶ原をカメラ付き小型ヘリコプターで空中散歩。
●夏の幻の光景
年に数回しか現われない白い虹。星空を映す池塘等、夏の絶景。
●尾瀬の味
尾瀬の山々の噴火でできた土壌が育む大豆と尾瀬の湧き水で作る極上豆腐。
●最後の開拓者
尾瀬に最も近い所に暮らす老夫婦の、湿地に抗って、湿地に救われた開拓史。
●檜枝岐歌舞伎
役者も裏方もすべて村人が担い、尾瀬の山の神に捧げる江戸以来の娯楽。
もっと読む伊勢
1300年を越えて、日本人古来の知恵や美学を守り、豊かな自然に感謝の祈りを捧げてきた伊勢神宮。今も古式にのっとった自給自足が行われ、豊作を祈る四季折々の祭、神々への平穏の祈りなど、祭事は年間1500にも及ぶ。
その地に暮らす伊勢の人々は、古来より恵み豊かな自然の中に神の存在を感じ、感謝を捧げてきた。神の恩恵に預かることを「おかげさま」といい、そのために働くことは名誉あること。神饌のアワビや米を作る人、参宮の街道で店を守る人、夜明けと共にお参りし、常に神宮と共にあるという人々も。
伊勢の人々がいま心待ちにしている「式年遷宮」。20年に1度、社殿や神宝装束いっさいを新しく作り替えるもので、8年かけて進められてきた遷宮行事も、この秋クライマックスを迎える。
番組では、遷宮を目前にした伊勢の地に、年間の様々な祭事と神宮のそばに暮らす人々を訪ね、神が愛した地に残る「日本人が大切にしてきたもの」を見つめる。
もっと読む桜前線の旅
桜―。春の訪れを告げるこの花に、日本人はなぜ特別な感情を抱いてきたのか。桜を待ち望み、咲き誇る風情を愛で、散りゆく姿に儚さを感じ、また翌春に思いを馳せる…。日本人と桜の物語、樹齢千年の大桜を守り神と崇め、代々守ってきた山間の村の慎ましい暮らし。毎年春、新一年生を六年生がおんぶして校庭の桜の回りを巡る伝統の歓迎会を開く小学校。今は大人となった卒業生やその家族も、桜の記憶が刻まれている。 日本で最初に桜が咲く沖縄から、最も遅く花開く北海道まで、桜前線を辿って日本列島を北上する。全国各地の桜を愛でる旅とあわせ、桜をうたった古今の詩歌も紹介。西行からAKB48まで、桜に託した日本人の思いの深さを綴っていく。
●沖縄
~クメノサクラ~白から薄ピンクに変化する全国唯一の桜種、それを育てた古老。
●鹿児島
花見の名物“酒ずし”、男社会の時代に一緒に酒を飲みたい女心が生んだ郷土食。
●愛知
二千組の家族の思いを託した桜の山。亡き父を偲ぶ、母への感謝、子に託した夢。
●北海道
桜前線の終着地、寒さに強く丈夫な桜を海岸に植え育てる漁師の夢。
もっと読む駅弁
旅に出るときに、ついつい買ってしまう「駅弁」。なぜ日本人はこんなにも駅弁が好きなのか。全国で2500~3000種類あるといわれている駅弁の歴史は、明治18年(1885)宇都宮駅の「握り飯とたくわん」がルーツとされています。その後、駅弁はその小さな弁当箱の中に世相を反映し、今日の国民的人気を得るようになりました。
駅弁売りの声に誘われて、窓から買った駅弁。旅の記念に奮発した、贅沢な駅弁。食料不足に、空腹を満たした駅弁…旅の記憶、故郷の味、どん欲な好奇心や、暮らしの知恵を小さい四角い駅弁の箱に、日本人はいろんな思いをギュウギュウ詰め込みました。
時代時代、日本人が各地で知恵と工夫を重ね、育んできた奥深い駅弁の世界を旅します。
もっと読む霧島連山
宮崎と鹿児島の県境に広がる霧島連山。日本書紀などの神話ゆかりの山々が連なる火山地帯である。日本有数の降水量の霧島連山は周囲の町にわき水や温泉を生み、火山灰の大地からはさつまいもがよく育ち、芋焼酎文化が発展。人々は火山の恵みを教授しながら独自の文化をはぐくんできた。
しかし、2年前、連山の一つである新燃岳の噴火で町は大変な被害を受けた。降灰による農作物の全滅、流通の麻痺など火山の恵みは災害と紙一重である。
追い打ちをかけるように、口蹄疫の被害にも見舞われた地域。そこには、厳しい自然と共生するたくましい人々の暮らしがある。
半世紀前の新燃岳爆発も知る老ガイドは、観光と登山の再開を目指し、火山灰と格闘する。口蹄疫で飼い牛全てを殺処分した農家は、再開に向けて立ち上がる。
人々はこの地を愛してやまない。若者も仕事が少ないのにあまり県外に出たがらず、出て行ったものも多く戻ってくる。霧島連山と共に生きる人々の躍動感に満ちた力強い暮らしを描く。
もっと読むにっぽんの犬
ある時は雄々しく勇気ある番犬として。また、ある時は温かいぬくもりで心を癒やしてくれるペットとして。犬と日本人は、長く、深い結びつきを育んできました。
古くは縄文時代、狩猟を生業とする人間にとって犬は猟を助けてくれる大切なパートナー。縄文遺跡からは犬の骨が丁寧に埋葬され、さらには人間と一緒に埋葬されている例も報告されています。こうした縄文の犬の子孫が「日本犬」。現在、甲斐犬、柴犬、北海道犬、秋田犬、紀州犬、四国犬の6種類が天然記念物の指定を受けています。
山深い土地を走り回り、優れた跳躍力を磨いてきた「甲斐犬」、田畑を荒らす猿を追い払い、地域の人々の暮らしを守る「柴犬」、厳しい冬の大地で、神の使いと崇めらる「北海道犬」、村人の恩に報いるため身を粉にして働き、最期に神として祀られる伝説の「秋田犬」、弘法大師を高野山へと導いたという「紀州犬」、そして日本人と犬との深い縁を今に伝える「四国犬」…6犬種のゆかりの地を旅し、犬と日本人との絆を見つめます。
もっと読む川越
都心からわずか30キロの地に、江戸時代から受け継いだ庶民文化が色濃く息づいている街「川越」。東京では失われた重厚な「蔵造りの街並み」、江戸の天下祭りを受け継ぐ「川越まつり」、雑木林と畑が一体となった「江戸の循環型農業」など、東京のベッドタウンでもある川越には、いまも多彩な江戸文化が残っています。
市街地を広大な農村地帯が取り囲む川越は、町と村が密接に関わりながら江戸の伝統を継承してきました。その背景には、川越と東京(江戸)が川を利用した水上交通で深くつながってきた歴史があります。
こうした川越の風土と歴史、さらにはそこで暮らす人々の魅力を描きながら「川越」を旅します。
●蔵造りの街並み~お江戸日本橋の面影を残す旧市街。そこに息づく蔵とともにある暮らし。
●新河岸川~川越に江戸文化を運んだ舟運。春、復活した高瀬舟が子どもたちを乗せて進む。
●江戸の循環型農業~荒野だった武蔵野台地を開墾、この地で13代農業を営む農家。
●川越まつり~町衆の山車に乗る村方のお囃子。町と村が一体となって繰り広げる一大絵巻。
●雑木林の守り人~新緑の中、ロープ1本で木に登り林の手入れ。400年続く人と林の営み。
もっと読む倉敷
白壁の蔵屋敷、水面に映る、しだれ柳が美しい街「倉敷」。この街を築き上げたのは、江戸から明治にかけて活躍した豪商たち。倉敷は早くから舟運で栄え、そこに多くの商人達が集いました。商人たちは明治になると、殖産興業の流れに乗り、いち早く紡績業を成功させ、その儲けた財で日本初の西洋美術館を築くなど<先見の明>と<進取の気質>に富む人々でした。
昭和に入っても、観光客を呼ぶために、街ぐるみで古い景観を保存に取り組み、また国産初と言われるジーンズも製造するなど、その気質は今も脈々と受け継がれています。
時代が大きく移り変わっても、したたかに、そしてつつましく生きる人々の物語です。
<オムニバス項目(抜粋)>
●美観地区の蔵(倉)屋敷・・・白壁の蔵屋敷に今も住み続ける倉敷商人の気質。
●綿糸の町・・・江戸時代は綿花の産地。足袋や帆布など分厚い布づくりの伝統。
●富を支えた水の道・・・干鰯を運び綿花を出荷した舟運。江戸時代の面影が残る瀬戸内の港町を探訪。
●ジーンズ・・・丈夫な布を作る技術は国産初のジーンズの製法へと。今も挑戦続ける職人たち。
●大原美術館・・・日本を代表する商家の私設美術館。世界的な名画に子供の頃から触れるぜいたく
もっと読む屋久島
年間30万人以上が訪れる世界自然遺産、屋久島。奥深い山と巨大な屋久杉の森は、多くの登山者の心を惹きつけています。原始の森が残ると名高い屋久島ですが、かつては大規模な林業が行われ、島の人々の生活を支える大切な場所でした。そしてその山の文化は、今も脈々と受け継がれています。
山の神を敬い山頂まで詣でる岳参り(たけまいり)。山中につくられた神の世界と人間の世界の境界線。そして林業の村として山中で栄え、今は閉鎖された集落跡で行われる元住人たちのお花見会-。
世界遺産に登録されて20年目になる屋久島。「観光の島」の陰で、今も山を敬い山と共に暮らす人々をみつめます。
<オムニバス項目(抜粋)>
●3つの梅雨・・・高い山々が育む雨。屋久島には三度の梅雨が来る。島の暮らしと共にある雨。
●水路の里・・・山の水を引いた生活水路。野菜を洗ったり農具を洗ったり。ウナギも顔を出す。
●山のお花見会・・・昭和45年に廃村となった山中の林業集落。元住民が行うお花見会。
●山の神の日・・・1年に3度ある「山の神の日」。この日に山に入ると恐ろしいことが…。
●岳参り・・・山の神を敬い山頂の祠に1泊2日で参詣。巨木の森を抜け、神々しいご来光へ。
もっと読む花火
夏の思い出、花火の夜。思い出すのは、幼い日背負ってくれた父さんの背中…。雑踏で初めて握った彼女の手…。戦地で亡くなった戦友の顔…。日本各地の花火大会では、老若男女、様々な人が同じ夜空を見上げながら、様々な思いを花火に託します。
日本の花火発祥の地と言われる三河・遠州では、勇壮な手筒花火の伝統が生きています。男達は一人前になった証として、火柱が噴出する手筒を構えます。新潟・長岡では、かつて空襲があった夜に一面の銀色の花火が打ち上がります。戦友たちの鎮魂のため、90歳の老花火師が魂を込めた花火です。福島には、風評被害に負けず明るいフクシマの夜を演出しようと奔走する花火師たちがいます。福岡には、線香花火のやさしい輝きを守り続ける夫婦の花火製造所があります。
花火に込めた日本人の思いを探す旅。花火師たちの思いと、夜空を見上げる人々の思い。
その日常に触れ合い、生き様を感じ取り、それぞれの花火を見つめていきます。
●親子三代の花火師(静岡・湖西市)
45年前祖父が作った伝説の花火「マジック牡丹」を超える、新たな作品に孫が挑みます。
●鎮魂の白菊・平和への願い(新潟・長岡市)
日本3大花火・長岡花火の前日に上がる三発の慰霊花火。銀一色「白菊」に込められた思い。
●勇壮!手筒花火(愛知・豊橋市)
火柱が20~30mも上がる手筒花火を抱えて、構える男達。伝統を継ぐ若者達の心意気。
●女性花火師、花盛り(石川)
今、花火師の世界で女性たちが頭角を現している。花火師の半分以上が女性という製造所も。
●震災と花火
震災そして原発事故で今も揺れ動いている福島、花火師と観客、その想いが夏の夜空に交錯。
もっと読む九十九里
果てしなく続く白い砂浜と海、そして、打ち寄せる波・・・。東京から1時間ほどで訪れることができるのが、全長約60キロメートルの九十九里。九十九里は、やはり夏が似合います。
日本最大の水揚げを誇るイワシ漁。その魚群を呼吸を合わせて追い詰める、固い絆の海の男たち。かつて「おっぺし」と呼ばれた浜の女性たちは、いつの時代も笑いを絶やさず、漁に出る夫を支えてきました。
豪快な自然に育まれた、あけっぴろげで、情に篤く、エネルギッシュな人たち。そんな九十九里の暮らしを訪ねる、ひと夏の物語です。
<オムニバス項目(抜粋)>
●イワシを追って・・・集団で力を合わせる、九十九里のイワシ漁。漁師たちの強い絆。
●父と子のハマグリ・・・夏だけ解禁されるハマグリ漁、伝統の漁具で競い合う名人と息子。
●陽気な浜の女たち・・・かつては夫の船を海に押し出していた女たちは、今も浜の主役
●石を積む・・・荒波が削った石を重ねる伝統の塀。震災で崩れた先祖伝来の石垣を積み直す。
●海と陸の絆・・・大漁と安全を祈願する農村の祭り。海辺へ移り住んだ兄弟たちへの祈り。
もっと読む大阪 通天閣と新世界
大阪のシンボル「通天閣」とその下に広がる「新世界」― この地域の開発が始まったのは、今から100年前。内国勧業博覧会の跡地に、エッフェル塔を模した通天閣が建てられたのを機に新世界の街は生まれ、“大衆の楽園”として賑わってきました。
近年は串カツブームで、他府県から観光客が押し寄せる一方、昔ながらの立ち飲み屋さんでは、人情味あふれる接客でのれんを守り続けています。
娯楽では、「ふたりっ子」の舞台ともなった通天閣歌謡劇場に、年配層のファンが詰めかけ、“通天閣の女王”“平成の歌姫”などの愛称を持つ濃い歌手たちがステージを彩ってきました。しかし、今年6月末で劇場が閉鎖されることとなり、新世界から名物が一つ消えようとしています。
お高くとまらず、どこか懐かしく。誰もが安く熱狂して楽しめる“大衆の楽園”。新世界をこよなく愛し往来する人々の情景を描き、“ディープ大阪”の世界へとあなたを誘います。
●ジャンジャン町・・・個性で勝負!串カツ戦争。立ち飲み屋の名物オカン。安くておいしくて、心温まる新世界の街角。
●通天閣歌謡劇場・・・6月で閉館、女王や歌姫たちの最終公演までを密着取材。
●浪速の恋・・・昔から通天閣はデートスポット。ここで結ばれた額縁店夫婦の恋物語。
ほか
もっと読む南国土佐
平均気温は17度以上。強い日差しと年3000ミリという全国一の雨量を同時に誇る南国、土佐。晴れか、雨か、はっきりとした気候の中で土佐の人は、独特の気性を育んできました。
いまも土佐の男は「イゴッソウ(頑固者)」、女は「ハチキン(男勝り)」。思い込んだら一直線の個性豊かな男女が分け隔てなく楽しむ土佐の宴席。知らない人とも盃を酌み交わし、すぐに意気投合。南国土佐ならではのユニークなしきたりが脈々と息づいています。
そして、土佐の人たちが全精力を傾ける、「よさこい祭り」。8月上旬の祭りにむけて梅雨が明けると街は祭り一色に。南国土佐の人々の夏の営みを描きます。
<オムニバス項目(抜粋)>
●酒文化…昼の11時から営業、土佐の飲兵衛の「聖地」とされる居酒屋
●日曜市…歴史は日本最古の300年。土佐のハチキンに出会える青空マーケット
●かつおソムリエ…甘味と酸味の絶妙なバランス、カツオの奥深い世界を探求する男性
●土佐金…土佐のイゴッソウでないと育てられないとされる、金魚の女王。
●よさこい祭り…南国土佐の一番熱い日。観客も踊り子も一体に、祭りを楽しむ。
もっと読む鯖街道
若狭の海と、京の都を結んできた「鯖街道」。リアス式海岸が続く福井県若狭地方は、海産物の宝庫と言われています。その一つである小浜は、飛鳥・奈良時代から朝廷に塩漬けした魚介類を献上してきた浜として有名です。若狭から運ばれた鯖が、京へ到着する頃には、ちょうど良い塩梅になったことから、その道はいつしか「鯖街道」と呼ばれるようになりました。小浜から京都まで十八里、およそ70キロの険しい道、鯖街道を若狭から運ばれた鯖は、京へ着くと鯖寿司や京懐石に姿を変え華開きます。海が遠い京都の人にとって若狭からの魚介類は何よりの御馳走でした。
「鯖街道」が運んだものは海の幸だけではありません。美しい里山を抜ける街道は、人々の往来と共に、さまざまな文化や習わしを伝え、人と人、縁を結んだ道でもありました。
海と山、そして都、人と人をつないだ街道の物語です。
<オムニバス項目(抜粋)>
●鯖街道を走る ~全行程76キロ、標高800メートルの山を三つの峰を越えるハードなマラソン。特別な想いを持ちながら走るランナーたちの挑戦
●おっさんたちのロマン ~かつて清流で知られた宿場町熊川。その恵み「蛍」を再び、と願う地域の人々の熱い思い
●そば屋の嫁入り ~福島県から滋賀の山里にあるそば屋に嫁いだ女性の奮闘
●七衛門とお地蔵さん ~京都の山里、広河原にかつて魚を売りに来ていた行商 七衛門と地元の人達との物語
もっと読む津軽
津軽。この地では短い夏の間、人々は怒濤のように“じゃわめぐ”。
じゃわめぐとは津軽弁で、血が騒ぐという意味。岩木山の麓に広がる津軽平野は、日本屈指の豪雪地帯。半年近い厳しい冬を越え訪れる短い夏に全ての情熱を注ぐ人々。津軽の夏を彩るねぶた。ねぶた師は、年に1度の祭のために、1年かけ、巨大なねぶたを作ります。祭には、極彩色のねぶたの周りを跳ね、盛り上げる跳人や、色とりどりの化粧をして人々を笑わす化人(ばけと)が姿を現し、一心不乱に舞い踊ります。
賽の河原、いたこ、生が激しく躍動する裏側で、死者も静かに、じゃわめきます。生と死が交差する津軽の夏です。
津軽が背負った歴史。縄文の時代、ここには豊かな文明がありました。その後も、鉄の王国が築かれた歴史も。しかしそうした豊かさを謳歌した時代もあれば、数年に一度飢饉が襲うという苦しみ抜いた時代もありました。
短い夏の終わり、実りの秋の豊穣を祈る人々がいます。岩木山に詣で、唱い、踊る。僅か数十日足らずの夏。大地が、人が、陽炎のように燃え上がる津軽の夏を見つめます。
もっと読む阿蘇
日本最大の巨大なカルデラ「阿蘇」。今も活火山として活動する山と共に生きる人々の暮らしがそこにはある。異形の景観を造りだした火山の「火」。阿蘇の人たちは畏れ、祈る。ひとたび火山の神が怒れば、火はすべてを焼き尽くす。その一方で、火はときに土地に豊かな恵みをもたらす。春。阿蘇の草原を野焼きの炎が包む。黒く焼け焦げた大地からは、やがて新緑が芽吹き、牛たちがそれを食む。火山灰の大地は、降り注いだ雨を吸い込み、濾過して、美しい湧水として還っていく。土地の人は絶えることなく、阿蘇の自然の恵みを、阿蘇とともに暮らす知恵を、脈々と次の世代につないでいった。“火と水の大地”と、そこに生きる人々。春から夏、一番阿蘇が息づく季節の営みを見つめる。
<オムニバス項目(抜粋)>
●1000年の草原…若き牛飼いは“野焼き”の知恵とテクニックを学び、初めて一人前になる。
●ライダーたちの聖地…絶景に魅せられ全国からライダーが集まる宿。青春グラフィティ。
●春子ばあちゃんの高菜漬け…阿蘇名物“高菜漬け”。漬けもの名人の春子ばあちゃんの日々。
●神を迎える歌合戦…7月。田に神を迎える祭りに向け、伝統の歌の練習に励む人々の奮闘。
●なほちゃんの冒険…夏休みに開かれる“寺子屋”。子供たちのお楽しみは湧水で泳ぐこと。
●ご先祖様は草原に…阿蘇独自の風習「盆花とり」。草原の暮らしはずっと続いていく。
もっと読む鮎
夏の訪れと共に、釣り人たちの心をざわめかせる魚がいます。「鮎」。
なぜ日本人は、かくも「鮎」に魅了されてきたのでしょうか。
6月の漁の解禁では、全国の川に釣師が集まります。腕自慢の太公望をひきつけてやみません。京都の料亭では、とれたての鮎の塩焼きを楽しむ食通たち。
香魚ともいわれる独特の香り、ほのかな甘みをもつ柔らかな身の味。
鮎は、古くは古事記や日本書記にも記され、遠い昔から日本人に親しまれてきました。
平安時代の辞書には、こう記されています。
「春生じ、夏長じ、秋衰え、冬死す。故に年魚と名づくなり」
春、海から川をのぼり、
夏、川底の石について藻を食べて大きく育ち、
秋、川を下って産卵し、短い命を終える。
四季の中で、誕生から死までを過ごす儚い命。
川の記憶と共に、私たちの心に残る魚、鮎をめぐる物語を探しに全国を旅します。
もっと読む長崎の島々
971の島を有する日本一の島王国、長崎。日本の西端に点在する島々は、古より、中国、朝鮮半島、ポルトガル、オランダなどとの交易の要所として栄え、未知なる文化や風習などがもたらされてきた。国境として、時代の最先端をゆく一方で、独自の文化が根付く時代のタイムカプセルでもある長崎の島々。その営みに目を向けると、日本の歴史や原点が見えてくる。
満月を待ち望む女の島(度島)、自給自足を楽しむ人口20人の島(赤島)、世界的アニメーションを生んだ雲の島(福江島)、信仰が今も息づく“かくれキリシタン”の島(中通島)、海を渡ってきた仏像が暮らしにとけ込む国境の島(対馬)、“離島甲子園”にわく島(壱岐島)など。
もっと読む小豆島
古くは古事記の時代から、瀬戸内海の要衝として知られる「小豆島」。西方から都へ人・金・モノを運ぶ物流の要、また、都から四国・九州へもたらされる文化・芸術伝播の中継地としての地の利から、独自の発展をたどってきた。島外から製法と素材を取り入れた「しょうゆ」は、いまも桶と人による二人三脚で育まれている。そして「そうめん」は産業としてだけでなく、人々の生活に深く根付き、お盆の伝統行事ではなくてはならないものになっている。さらに、困難とされたオリーブの栽培を日本で初めて成功させ、オンリーワンの産地になった。そんな島の人々の大きな楽しみが農村歌舞伎。これも昔ながらの上方の演芸を巧みに取り入れたものだ。人々は知恵と工夫を積み重ね、資源の少ない島で生き抜いてきたのだ。
寒霞渓に代表される雄大な山々、多くの恵みをもたらす瀬戸内海。日本の原風景に育まれた人々の力強い営みを、『瀬戸内の楽園』小豆島に探っていく。
<オムニバス項目(抜粋)>
●もてなしの心~お遍路を庭に招き入れ、お茶でねぎらう。自分で育てた芋でもてなす
●しょうゆ~蔵つき酵母が作り出す島醤油。伝統を守り、新たに桶を作る職人の意気込み
●オリーブ~日本で最初に小豆島に根付いたオリーブ。その陰には農家の地道な努力が
●豊作への祈り~夏の夜、千枚田に灯されるたいまつの炎。秋は農村歌舞伎を奉納する
●平成のおなご先生~「二十四の瞳」に憧れた女性教師、分教場では唱歌が歌われる
もっと読む鳴門
渦潮がゴウゴウとうなりをあげる「鳴門」。本州と四国を結ぶ“門”という意味を持つ。巨大な渦潮に象徴されるように、この地では人と物が行き交い、文化が交わり合ってきた。阿波の国の時代より現在まで続く、物流の中心地である。特産物が大河・吉野川沿いに下り、鳴門に集められた後、海峡を超え上方へ、日本各地へと送り出されていく。一方、本州からは遍路に代表されるように、人々が心の拠り所を求め鳴門の地を踏み、四国へと足を運ぶ。
秋から冬にかけて、鳴門はその名の通り、土地の色を増す。一年で一番大きな渦潮が発生し、実りは渦潮の海峡を超え、人々は澄んだ空気の中で自分自身との向き合いを深めていく。
招き入れ、送り出し、その重なりのなか混じり合う。鳴門の風土を見つめる。
<オムニバス項目(抜粋)>
●圧巻!巨大渦潮...紀伊水道と播磨灘、2つの潮流と干満が直径30mの渦潮を産む。
●渦潮鯛の一本釣り...渦潮に揉まれた鳴門の海の恵み、鳴門鯛と、一本釣り漁師の戦い。
●レンコンが海峡ひとまたぎ...絶品のレンコンが京都へ、そして料亭へ。ごちそうに。
●遍路への旅立ち...八十八ケ所一番札所から自分と向き合う旅を始める現代の巡礼。
●潮から生まれた塩...渦潮の海で製塩業を支えた男たちの心意気と塩を巡る食文化。
●ご当地人形浄瑠璃...文楽人形の名職人・故大江已之助と、ふるさと鳴門の不思議な縁。
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